【リサーチャーのつぶやき 02 】

「読書は振付と似ている」

乳児が母親と同じように手を動かして笑ったり、サッカー少年がプロ選手を真似てボールを蹴ったり、テレビに出ている料理人のようにフライパンを振って炒飯を作ったり、憧れのミュージシャンと同じギターでロックを演奏したり。

我々は、誰かの真似をして、新しいことを覚え、そして周りと見比べてそれを修正し、繰り返し行うことで自分の身体にとって馴染みのいいものにしていく。

伝統芸能における型やものづくりにおける技術の習得も、長い年月繰り返し行われる中で “最適” とされた身体の使い方を自らに刻み込む行為であるだろう。

こうして文化は継承されていくし、技術は磨き上がっていく。

ダンスにおける振付も、振付家が表現したい心象や物事を、身体の動きを通して他人の身体に刻み込む行為である。

これと同じように、「本を読む」という行為も、感覚を身体に刻み込む行為なのではないかと黒田は考えた。

読書体験とは、文章から想起される世界やストーリーを、あたかも現実に起きた出来事かのように記憶することとも言える。すなわち、読書によって引き起こされる身体感覚は、誰かの真似をしてみたり、技術を習得したりする行為によって得られるものに近似しているのである。

彼がどうしてそういう考えに至ったのかはわからないが、普段話をしているときに、最近読んだ本からエピソードを引用したり、感想を言っていたりすることがよくあった。

実体験として、読書から身体が何かを感じとったのかもしれない。

そういった背景があったので、彼が「本をつくりたい」と言った時にも、驚きはなく、むしろどんな本を作るのかに興味を抱いた。

「ダンスを踊らない人にも、本を通してなら振付を行うことができるんじゃないか。本を介してなら、もっと遠くの人とも繋がることができるかも知れない。」

彼はそんなことを言っていたような気がする。

これを実践するには、振付けという行為を解釈し直す必要があるし、また本というメディアがもつ特性を研究する必要もある。

気の遠くなるような試行錯誤が必要になるような気がしたが、私は内心、その経過を本にするのもまた面白そうだな、と思ったりした。

筆:協働リサーチャー 國米 翼

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